未定

よしなしごとです。

アウトな付き合い方をしよう

『ヒップホップはアメリカを変えたか? もうひとつのカルチュラル・スタディーズ』という本を読み終えました。大学の課題だったんですけど。

ヒップホップはアメリカを変えたか?―もうひとつのカルチュラル・スタディーズ

ヒップホップはアメリカを変えたか?―もうひとつのカルチュラル・スタディーズ


「ヒップホップは私たちを愛しているの?」で描かれた女性の姿が印象的でした。ヒップホップとポルノの関係、ポルノと女性の関係、それがゆえにヒップホップから阻害される女性。

誰の居場所?


自分は今上野公園でアルバイトしてるんですけど、ほんとうに昔と比べてホームレスの方が減ったなと。子供連れの親子とか外国の方が激増したイメージです。

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カフェもあり、噴水施設周辺も整えられて、以前の鬱蒼とした暗いイメージは一転して、まさに憩いの場という感じです。


そこで思います。誰の?
「みんなの居場所に」になった裏には、静かに排除された人がいるわけです。
誰かの居場所が作られるということは、誰かの居場所が失われることなんですね。


正直、自分は今の公園の姿が好きです。
外で食べるごはんとか最高です。
だから別に「お前ら呑気に遊んでんじゃねー!!」とか説教じみたこと言いたいわけではなく!そうなのかもなーって思っただけです。


違いに「向き合わ」ない


そんなときテレビで目にした『アウト×デラックス』という番組。あの番組の姿勢いいなと思うんですよね!
ちょっと「変わってる」人を腫れ物みたいに扱わない。当人から出るエピソードに驚きながら笑いに繋げてる。
「向き合う」とかそんな肩肘張ったスタンスじゃなく、もっと気軽に接してる。


のけものにされたりっていうことは、すべてが「違い」から生まれます。上野公園の例もそうです。
でも仰々しくそれについて考えると、どこかその話題がタブー視されて、すぐセンセーショナルな問題になっちゃうのかなあと。


アウト×デラックスも、ちょっと踏み外したら視聴者から「馬鹿にしてる!」って意見もでそうなものですけど。すごくいい雰囲気だと思うんですよね。


油断したら誰だって差別するもの。
そのくらいのスタンスで違いに向き合っていけたらと思いました。